護られている自分と向き合う
様々な症状のなかで、
原因不明というものがこの時代にもたくさん存在する。
先日、お会いした漢方の諸先輩が
私の祖先を観るといってくれた。
お墓を観るということでした。
私の家のお墓は真ん中に大きな墓石と
両側にふっるい墓石がある。
しかし、それは何の意味かも全く知らなかった。
つまり、墓参りは行為であり、何に手を合わせているのか?
分かっていませんでした。
これでは供養されないよと先輩に言われました。
自分を守ってくれるのもが分からないのに、護ってくれるはずもない。
しっかり、向き合うのが祖先を供養していくことなのだと感じました。
私には不定愁訴はありませんが、知らずにいれば
どこかで何か知らの症状が出ていたかもしれません。
これは漢方で云う「気」と通じるものかもしれないと思い
問診の中で、全く分からないときには聞くのも1つの手段ではないかと
思わされました。